Twitterで見られる「妊婦様」という言葉。
私自身が妊婦なので新型コロナウイルスへの関心が高く、気付けばよくブログで記事も書いている。今、自分が妊婦じゃなかったら、妊婦だったことがなかったら、近くに妊婦がいなかったらきっとここまで「妊婦への扱い」についても考えられなかったと思う。
今までマタニティマークを付けている人を見かけたら電車で座席を代わるものだと思っていたのに、自分がつけてみてもどうやらそうじゃないらしいこと。
職場では人手不足を理由に特に妊婦への配慮もないこと。
妊娠で体調が悪くても迷惑をかけてはいけないと今まで以上に頑張りすぎたこと。
マタニティマークを付けていると危険と言われることもあったので、目立たないようにしていたこと。
妊娠してから悪阻がしんどくても安定期になるまでは周りに伝えないほうがいいという葛藤と不安。
キラキラステキなマタニティ生活!とは程遠く、仕事をしていてもそれまでとは違う何とも言えないプレッシャーに耐え必死な毎日を過ごしていた。「私、妊婦なんだから何とかしてよ!」なんて思うことはなく、どうしたら迷惑をかけないか、このままでいいのか、いっそ私じゃないほうがいいのかなんてこともよく考えていた。
そして今回、新型コロナウイルスの件で私もその1人だったわけだが、ワーママ妊婦について考えてほしいと思っていた。あまりにも話題に上がらないからだ。捉えられ方によっては、「妊婦様」と言われてしまうのが残念でならない。
多くは、働く妊婦を守って→お腹の赤ちゃんを守って
という意味で何も自分の命だけを主張しているわけではない。基礎疾患のある人も、高齢者も医療従事者も、普通に働いている人も、全て他の人の命も大切ということを前提として、当事者ではなければなかなか意識が向けられず、数も少なく、あまり取り上げてもらえないからこそ「妊婦」が声を上げているのだ。それも何か起こる前にと日々の生活に怯えながら。
妊婦「だけ」守ってとは一言も言っていない。
あえていうなら妊婦「も」守ってという感覚。
皆、歳を取れば全員が高齢者になる。しかし、妊婦になるのは全員ではなく、それも今のタイミングで妊娠している人数は限られている。
いつもどこかですみません、ありがとうの気持ちで生きている妊婦も多いと思う。だから、どうか必死で子どもを守ろう、生きていこうとしている妊婦、特にこの状況の中色んな事情があって仕事を続けている妊婦に対して、何かあるたび嫌味を込めて「妊婦様」と言うのはやめて、「将来を担う命を育ててるんだな、お疲れ!」くらいの温かい社会になればいいなと思う。
そのためにも早く国がその姿勢を見せてほしい。そう切に願っている。